コミュニティはGiveの関係で成り立つ

コミュニティはGiveの関係で成り立つ

こんにちは。長田(@SsfRn)です。

先日、知人の方からオススメしていただいた、こちらの本。

 

オススメしていただいたその場でポチって、翌日から読み始めましたが、この中で大変興味深い内容がありましたので、今回はそれについて書いてみようと思います。

 

 

“Take”と”Give”どちらが動機となるか?

「ゆっくり、いそげ」の文中にはこんなことが書かれています。

一回一回の交換を”テイク”の動機に基づいて行うこともできれば、”ギブ”の動機に基づいて行うこともできる。前者を「利用し合う関係」、後者を「支援し合う関係」と呼ぶこともできるだろう。ぼくらはお店のオープン以来、お客さんと「支援し合う関係」を結びたいと考えてきた。(※交換というのは、人と人のやり取りのこと)

ここが僕としては、一番感銘を受けた箇所でした。

「ギブの精神でコミュニケーションをとりましょう。」

よく聞く言葉ですよね。”それはそうだろ”と思われる方もいると思いますが、そのコミュニケーションがその人とどんな関係を結ぶのか?僕はそこまで考えられなかった気がします。

ギブを動機としてコミュニケーションをとることは、コミュニケーションの相手を支援するということ。相手を思いやり、相手のことを考えたコミュニケーションなんですね。

そこに打算はなく、打算が入り込んだ瞬間、それは「利用し合う関係」になってしまう。打算とはテイクが動機となっているので。

今周りの人たちとの関係は、テイクが動機ですか?ギブが動機ですか?僕は圧倒的にギブが増えました。

 

 

コミュニティは「支援し合える関係」で成り立つ

そして、この「支援し合える関係」を、僕は求めていたことに気がつきました。

なぜ、コミュニティにここまで興味をしてしているのか?そのひとつの理由にもつながっているのかなと。

つまり、コミュニティとは「支援し合える関係」で成り立っているということだと思うんです。

テイクを動機とした”くれくれくん”はきっと生きにくい世界が、コミュニティにはあるんだろうなと感じます。

そうではなく、ギブを動機とした行動がとれるひとこそ、コミュニティという空間を楽しめて、きっとその中で活躍していくのだろうなと。

「ギブを動機とする」という言葉にしちゃうと、メンバーのことを考えないと!コミュニティのことを考えないと!と思ってしまいがちですが、そうではないと思っています。

コミュニティにおいてのギブとは、直接的な貢献ということではなく、コミュニティメンバーを容認すること。その多様性を受け入れるということ。

これこそが、コミュニティにおいてのギブなのではないでしょうか?

 

 

最後に

僕が会社という空間で生まれる関係に違和感を持っていたのは、「利用し合う関係」だからなんだと気が付きました。

お金を稼ぐため、利益を上げるため、というのはテイクが動機になっている。

では、どうすればそれが回避できるのか?それは「好きを追求すること」これに他ならないような気がしています。ここについては、また別の機会に。

それでは!