コミュニティに必要なのは「熱狂」ではなく、「愛」なのかもしれない

コミュニティに必要なのは「熱狂」ではなく、「愛」なのかもしれない

こんにちは。長田(@SsfRn)です。

少し前にこんな記事を書きました。

コミュニティマネージャーほど熱量が必要な存在はいない

この「熱量」というキーワード。コミュニティを語る際に、必ずと言ってもいいほど出て来るキーワードです。

でも、最近「本当に熱量・熱狂だけが大切なのか?」と思い始めています。もちろん、あった方がいいですし、このエネルギーが様々なものを生み、コミュニティにポジティブな影響を与えることは間違いないと思います。

でもそれ以上に大切なものがあるのではないか?

僕はそれが「愛」なのかもしれないと考えています。

 

 

熱狂的になるリスク

一時期、どのコミュニティも「熱狂的なコミュニティ」を目指していた感じがコミュニティ界隈にはありました。(今もあるかもですが、、)

実際に僕も「熱狂的なコミュニティが理想なのでは?」と思っていましたし、そのためにコミュニティマネージャーが熱量を持っている必要があるなと考えていました。

でも、熱狂的になることにもリスクはあるよなと、最近強く感じます。

コミュニティはチームではないので、ある程度の持続性が必要だと思います。チームですと、目的目標が明確で、それを達成すれば解散します。それが短期間であろうが長期間であろうが、時間は関係ありません。

しかし、居場所となり、メンバーの拠り所になるコミュニティは、そこに安心感や居場所感を感じる必要があるため、ある程度の持続性が必要になると思います。

その場合、熱狂的になるということは、高いパフォーマンスを発揮する一方、持続性はあまりないという側面があります。さらに、その熱が冷めた後には消耗感に襲われる。すると、今度は次の一歩が踏み出しにくくなってしまう人も現れる。これが熱狂的になるリスクだと思います。

さらに言うと、熱狂的な自分を知ることで、足を止めている間の自分に嫌悪感を感じることがあり動けなくなる、そんな悪循環に陥ってしまうことも、、、

 

 

「愛」が土台にあるコミュニティ

その熱狂のリスクをカバーできるのが、「愛」だと思うのです。

愛が土台にあった上で、熱狂的になる瞬間をいくつも作り出せれば、それが理想のコミュニティのひとつの形なのかなと思います。

愛が土台にあることで、精神的な安心感がコミュニティに生まれると思います。それは単発的なものではなく、持続性が高い安心感。それがあることで熱狂が冷めても、コミュニティへの思いは消えないのかなと。むしろ、そうした瞬間こそ、居場所・拠り所だと思えるタイミングになる気がします。

コミュニティに対して愛を持ち、メンバーに愛情を持ってコミュニケーションをとる、そんなコミュニティマネージャー がいて。

愛情を持ってコミュニケーションを取り合うメンバーがいて。

土台に愛ができていく。そんなコミュニティって素敵じゃないですか?

きっと、今居場所として機能しているコミュニティは、「愛」があるコミュニティなのだと思います。とはいえ、愛を意図的につくりだすことは難しい。僕もどうすれば愛を生めるだろう?と考えたのですが、「愛を持って接する」ことでしか、愛は生まれないという結論になりました。

皆さんのコミュニティには、愛がありますか?

 

 

最後に

以上、コミュニティと愛について書いてみました。

「コミュニティには愛が必要である」という仮説があるとすれば、機能しなくなった会社や家族というコミュニティは、それが薄れているのではないでしょうか。

これはあくまで仮説なので、今後このあたりを深く考えてみたいと思います。

それでは!

 

なお、こちらのツイートしたところ、多くの方から反響がありました。とても貴重なご意見をいただきましたので、少し紹介させてください。

https://twitter.com/uunniiccoo/status/1032213733471182849